ペナン島大好きで毎年通い続ける皆さんや、今からペナンでロングステイを始めようと考えている方から「カメ爺さんにはペナンのお友達がどの位居るの?」とか、「どのようにしてお友達をつくってるの?」という質問を受けることがよくあります。
日頃から「マレーシアの新聞を読め」「現地の人と交流を持て」などと軽口を叩いていますので、その質問には丁寧に答えておく必要がありますね。(苦笑)
実のことを言うと、現地の人々と上手く交流する「コツ」なんてのは何も無いんです。
私が初めてペナンを訪れたのは、もう24年も前のこと。
最初の出会いはこの写真で私を膝に乗せているビーチボーイの「J・J」でした。単なる観光客とビーチボーイという関係です。
彼の巧みな日本語の話術に誘われジェット・スキーやパラ・セーリングを楽しんだのが始まりでしたが、ホテル滞在中は女房をホッポラカシにして1日の大半をビーチで何するでもなく過すようになりました。
そのうち、「J・J」を通じてビーチボーイの皆さんともお互い知り合いになり、通りですれ違ったりする時には自然に挨拶を交わすようになったんです。
それからというもの、気さくで親切な彼らの情にほだされ、年に2~3回程通うようになると私の名前も覚えられ、現地情報にも段々と詳しくなってきました。
手土産を持って行ったりした覚えはありませんが、ビーチが暇な時にポーカー・カフェ辺りでビールを奢ったりしたことはありますよ。
ところが、一旦彼らに甘い顔を見せたのがいけなかった。「J・J」だけに奢ったつもりがビーチボーイ達が続々と詰め掛け、飲んだビールのツケが全部私に廻ってきた。
それで怒ったりはしなかったけれど、それからは店の主人に根回しして事前に用意した飲み物だけを提供することにしました。
彼らに甘い態度を見せたら、どんだけ飲まれるか分りませんからねぇ!
この写真は彼らの誰かが撮ったものですが、ある日ビーチの木陰でテキーラを飲んで不覚にも酔っ払ったことがありました。
財布等の携行品も撒き散らし酩酊していたそうですが、知らぬ間に私と荷物をまとめてホテルの部屋まで送り届けてくれてました。(彼らも酔った私を初めて見たと言ってましたが、財布も全てまとめて部屋にありましたよ)
まぁ~、だらしのないことですが、そんなこんなで彼らとの信頼関係がいつの間にか出来あがっていたのでしょう。
ですから、旅行で通っている時分のおつき合いはインド人(ビーチボーイの殆どはインド人)ばかりだったように思います。
こんな風に20年もペナンに通っていると、いつの間にか友人・知人も増えてましてねぇ。
(マレーシア国籍の人ばかりでなくアジア・オーストラリア・ヨーロッパの友人も)
家や家族や生立ちを知り気心の通う仲を「友人」、家や名前は知っているが親しい間柄とまではいかない仲を「知人」と定義するとしたら、20年間にインド人の友人が数十人、知人となると200人位は居たと思います。
本格的に現地のマレー人や華人(中国系マレーシア人)との交流が始まったのは、定年後に長期滞在を始めてからだったと思います。
マレー人の友人が出来たのはインドネシア人の靴屋「ティー・トゥー」と知り合ってから・・・。(ビーチで働くマレーの知人は数人いましたが)
靴屋の職人芸に魅せられ、声を掛けたのが始まりです。
彼はムスリムですから、同じムスリムのマレー人が彼の仕事場に集まってきます。マレー語の分らない私が「T・To」を先生にマレー語を習っていると、集まったマレー人達が寄ってたかって私にマレー語を教えようとします。
また、朝の散歩で毎日顔を合わせるビーチ掃除の小父さん(ハルン)には、習いたてのマレー語で挨拶を交わしているうち、家に招待されるようになりました。
写真の「ハルン」夫婦は、私が一時帰国中に亡くなってしまったんですが、遺族の方達は四方八方に手分けして私のことを随分探したのだそうです。ペナンに戻ってそのことを知りお悔みに駆けつけたんですが、その後も兄弟や家族・親族の皆さんが私のことを同じ家族のように大事にしてくれ、友人だった「ハルン」家の皆さんとは今でも交流が続いています。
チャイニーズの皆さんとは、私が食事に通っていたフードコートの「ココナツツガーデン」が最初だったのかなぁ?
これは経営者家族の次男坊なんですが、彼の80歳にもなるお母さんに気に入られて家族つき合いが始まりました。
私のニックネーム「クラクラ」の名付け親は、此処の長男坊です。
おばちゃんが「クラクラ」と呼ぶもんですから、マレー人や華人の間にもいつしか私の名前が知られるようになり、知らない人からも声が掛るようになりました。
こんな風に、チョットした出会いから広がった「友達の輪」ですが、ペナンを引き上げる頃には友人・知人の数は300人を超えていました。
自分では気付かなかったんですが、こんなになったのは誰とでも気軽に朝夕の挨拶を交わしていたからかも知れません。それと彼らの文化や習慣を自然と学ぼうとしていたのかもしれません。
誰だって挨拶されたり、自分たちの文化や習慣を理解しようとする外国人に嫌な気分はしませんからネ。
多民族複合社会のマレーシアにおいて、宗教をはじめ文化や習慣の異なる人々とのおつき合いは、良いことばかりでもありませんでしたが、総じて私の充実したペナン生活をより豊かなものにしてくれたことに疑う余地はありません。
訪問した、その国の文化を学ぼうとする心と気軽に挨拶を交わす姿勢さえあれば、どなたとでも仲良く出来るのではないでしょうか?
パーティーや結婚式に招待されたり、お悔みに行ったり、私が生きてる限りペナンに暮らす皆さんとの交流は当分続きそうです。
小説にでも出来そうな色んな人との出逢いや別れがありましたが、また別の機会に譲るとしましょう。